平時忠(たいらのときただ) |
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平時信の長男として生まれ、清盛の妻、時子の弟であり、清盛の義弟にあたる。出世を重ねるも、二度の失脚を経験するなど波乱にみちた道のりながら、権大納言にまで昇進したことにより、政治家としては希有な存在だったといえる。 平家一門では平清盛を補佐しつつも実権を一手に担った参謀で、平清盛亡き後、平家の実質的な指導者はこの平時忠であったと言われる。平家が全盛を誇ると、「平家にあらずんば人にあらず」といった有名な言葉を残した。 壇ノ浦で捕えられたが、三種の神器の一つ「神鏡」を守った功績により、死罪は免れ能登に配流になる。その4年後、能登の地で生涯を終えたとされる。 |
平時忠と源義経 |
壇ノ浦で捕虜となった後に、時忠は娘を義経に嫁がせることで庇護を得ようとした。義経が承諾した理由は不明確だが、婚姻が成立したため、義経とは義父の関係にある。 |
上時国家 | ↑地図へ戻る |
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![]() その子時国は、近隣の村々を統合し、館を構えた。第21代当主は、現代に残るこの豪壮巨大な屋敷を築き、第25代当主が現在も屋敷と伝統を守っている。 関連URL 上時國家公式HP |
時國家 | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 時國家公式HP |
平時忠の墳(珠洲市大谷町則貞)(石川県指定史跡) | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 平の時忠の墓 |
からす川(珠洲市馬蝶町) | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 平時忠ゆかりの地 |
平時忠歌碑 | ↑地図へ戻る |
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刀祢水軍(珠洲市三崎町寺家) | ↑地図へ戻る |
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由緒は、近江水軍堅田党の主力、屋島・壇ノ浦会戦で平家船団の先頭に立って源氏と戦ったが、平時忠護送の時、珠洲に本拠地を移した。 |
曽々木海岸の窓岩 | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 能登輪島観光情報 輪島ナビ |
馬緤 | ↑地図へ戻る |
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山伏山(珠洲市狼煙町)(山伏山社叢:石川県指定記念物) | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 須須神社奥宮 |
聖域の岬(珠洲市三崎町寺家) | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 聖域の岬 |
義経の舟隠し | ↑地図へ戻る |
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須須神社(珠洲市三崎町寺家)(国指定特別天然記念物・重要文化財) | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 須須神社 |
蝉折れの笛(須須神社の宝物) | ↑地図へ戻る |
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村上元三の句碑(珠洲市三崎町寺家) | ↑地図へ戻る |
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揚げ浜式製塩 | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 奥能登塩田村 |
木ノ浦海中公園・椿展望台 | ↑地図へ戻る |
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禄剛埼灯台(桜の名所) | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL 石川県:歴史・観光・見所紹介、すず観光ナビネット |
見附島 | ↑地図へ戻る |
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![]() 関連URL すず観光ナビネット |